ちょちょろんさん 多発性筋炎(発病時はSLE)

 

病名:多発性筋炎(発病時はSLE)
病歴:16年と半年くらい
性別:女性
現在:高校卒業後より某百貨店で働く34歳。独身。

1988年 秋   
原因不明の微熱・むくみが頻繁におこる。近所の内科で調べてもらうが検査で異常は見られず。   ・・・11月から年末までギフトセンターで毎日残業の日々。

1989年 3月  
あちこちの関節が痛い。微熱も数週間下がらない。むくみもひどい。
・・・だけど研修で御殿場に泊まりで行かなきゃで、この時が一番辛かったと思う痛みをこらえて寒い中10キロ歩いたり、数時間立ちっ放しだったり・・・

結局、研修終ってから出勤できなくなってしまいました。関節が痛かったので小さい頃からお世話になっていた接骨院の先生に相談したら 「これは詳しい検査した方がいい。リウマチかもしれん」と言われ都立F病院で調べてもらう。この頃から、ほとんど寝たきりで自分で着替える事さえままならず痛い痛いと言う私に家族の者はただオロオロするばかりでした。

2週間後、都立F病院の検査結果がでました。先生は 「あなたは全身性エリテマトーデスという病気です。すぐに入院しなければいけない状態ですが この病院には今空いているベッドがありません。他の病院を探してください。」と言いました。

聞いたことない病名に「えらい事になってしまった・・」と思いつつ身体が動かない私。 「入院させる病院を探さなきゃ」と親戚・知人に電話をかけまくる母。        

10日ほど経ってようやく入院できる病院を見つけることができました。 入院してすぐプレドニン50ミリから治療を開始。むくみがひどいので利尿剤も。   

1ヶ月も経たないうちに、むくみも痛みも熱も嘘のようにひいていきました。代わりに顔がムーンフェイスでパンパン! 視神経まで圧迫して涙はでるわ痛いわで顔にシップを貼ったこともありました(笑)   

4ヶ月入院してプレドニンが25ミリになった時点で退院。 ・・というか無理やり退院させてもらいました。始めての闘病と副作用で精神的にかなりまいっており、毎日睡眠薬を服用している状態だったので。     

1990年1月〜
今思えば、少々無謀だったかなと思いますが正月明けから仕事に復帰。    プレドニンは確か15ミリ。   始めは3〜4時間程度で、プレドニンが少しずつ減る徐々に勤務時間を延ばしていきました。   2年後位には他の人とほぼ同じ勤務をし、残業もしていました。    けっこう無理していたかもしれません。関節の痛みをボルタレンで消して仕事に行ってました。   

1993年 夏   
この頃、身体の異変に気づく。 身体が重い、だるい。モノが持てない、しゃがむと立ち上がるのがきつい。 ヤバイと思いつつ、主治医に報告してなかった。入院するのが嫌で。  

1993年12月
風邪でもないのに1週間くらい発熱が続く。身体が重く動けない。   
覚悟を決めてH病院へ。〜やはり即入院。   
ここで病名が変わる。「多発性筋炎」   

1993年1月    
H病院入院中、同室の方から情報を得て 都立K病院に転院して治療を受けることにする。   
転院し、あらゆる検査の後にプレドニン60ミリから治療スタート。

1993年5月
プレドニン25ミリで退院。   
ここでも心療内科を受診しつつの入院でした。   
入院中、背中に激痛が走ること数回。K病院の整形で診てもらうが原因不明。
同じ頃、身長が縮んでいることに気づき医長に訴えるが、笑って済まされた。

退院後はMクリニックで治療を続けました。
そこでは筋力が落ちているから痛いのだと「ダンベル体操」をやるように言われた。 体操なんてできるレベルじゃなかったから結局やらなかったけど、数年後、現在通 院中の病院で激痛の原因が圧迫骨折のためだったと判る。・・ダンベル持たなくてよかった。でも結局、身長は10cmくらい縮んじゃいました。 なにが悲しいって、既製の服が着られないって事。どれもこれも着丈が合いません。

このときも入院してから1年ちょっとで仕事に復帰。でももう二度と長期入院はしたくなかったので、ずっと4時間程度の勤務にさせてもらった。1年以上も休んだあげく、人の半分しか働けないのになんとか辞めずにすみました。しかも入院前と同じ部署で。本当にありがたかったです。

1996年8月〜
Mクリニックが遠いし、休日具合が悪くなっても連絡とれない病院だったので 家からわりと近い、国立M病院に転院することに。

1997・8年頃
右足首の痛みがひどいので整形でレントゲンを撮る。   
「距骨(きょこつ・・足首の骨)無腐生壊死」と診断され、手術も勧められたけど断りました。   
現在は痛みもほとんど無く「温存」状態。   
足首だけでなく膝の状態も決して良くはなく、いつ崩れるかハラハラドキドキ。   

2000年8月   
足の広範囲に血のにじんだような紅斑ができてしまい、検査もかねて1ヶ月の入院。 シェーンライン・ヘノッホ紫斑病という病名でした。   

2001年9月
部署異動の辞令があり、勤務時間は同じままでも今までとは全く違う内容の仕事をするようになる。   
自分では気づかないうちにストレスで疲れていたみたいです。   
約1ヶ月の研修期間を終えようとしていた休日の朝、起きたら胸が痛くて呼吸できない。筋肉痛?と思ったけど身に覚えが無い。 時間が経つにつれて、熱も上がってきた。痛くて動けない。ただ事じゃぁないと思い、夕方仕事から帰った母に病院まで連れてってもらう。 案の定、即入院。

「間質性肺炎」と診断されました。

プレドニンは7ミリまで減っていたのに20ミリに増量。このときも約1ヶ月入院。仕事もこの日からずっと休むことに。   

2002年10月
プレドニンもだいぶ減って、そろそろ仕事に復帰できるかなぁと思っていた頃 、病院へ自転車で行った帰り、車にぶつけられる。
交通事故。   
自転車から落とされてしまった衝撃で、むちうち・肋骨3本骨折・頭その他数箇所の打撲。   
救急病院で処置の後、帰宅したら発熱したので 翌日M病院の主治医に連絡してから病院にいったら、「念のため入院しましょう」結局、1ヶ月入院する事になってしまいました。   

2003年12月   
2001年からずっと休み続けている仕事も、有給休職の日にちがなくなってしまったので 1日より仕事に復帰しました。(また今までとは違う部署)休みは皆さんと同じ8日間ですが、勤務時間は4時間。また、産業医の先生と相談する事ができたのでレイノーが出るのとラッシュを避けて出勤できるようにと 出勤時間を今までより1時間遅くしてもらう事ができました。 お陰でこの冬は、出勤時にレイノーが出るのは少なかったです。

2004年3月
勤務を再開して1ヵ月後と3ヵ月後、採血をしました。   
CKは勤務再開前が74で、1ヵ月後61→3ヵ月後78 と 今のところは影響ないみたいです。   
他の検査の結果も、大きな変動がなくてホッとしているところです。   
でも、気をよくしていると、また何が起こるか分からないので注意しながら生活していきたいと思っています。

'04.04.06

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