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入院こぼれ話

:: 筋生検の話 :: 気管支鏡の話 :: 

:: なんだか解らなかった2回目の入院 :: 肺炎治療のお試し入院(3回目の入院) :: 


 

筋生検の話

 

 場所は形成外科の外来で。

 まず診察室に入るとあまりのギャラリーの多さにビックリ!白衣の医師だか研修医だかわからない方々が大勢、20人くらいいたような気がする。執刀は私が・・・。助手は彼が・・・。みたいな説明があって早速手術がはじまった。助手、かなり緊張している様子。

 まずは麻酔から。左側のモモの表側。膝上20cmくらいのところに注射される。「私は大酒のみなので普通の人より麻酔が効かないかもしれないので濃いヤツよろしく」とか訳のわからない事を言ってウケを狙う、まだ余裕があったワタシ (^^ ; 。さあ、私の身体に生まれて初めてメスが入る。

 恐くて目をしっかりつぶる。大丈夫、麻酔してるんだから痛くない痛くないと念仏のように自分に言い聞かせる。でも何?痛いよ〜ん!かなり痛い。思わず大きな声を何度もあげてしまう。

 「おい、君大丈夫か!」なんて声が聞こえてまわりがざわついたので目を開けた。その言葉は私にではなく【かなり緊張していた助手】にかけられたものであった。なんと彼は痛いのをガマンしている私を見て緊張が頂点に達した・・・かどうかはわからないが、助手という大役のプレッシャーに耐えられなかったのか?ひっくり返ってしまったのだ(^^ ;。

 私、人が倒れるのを初めてみちゃった。まるで、マンガみたいだった。私が目を開けた時、彼は両側からささえてもらって後ろにひっくりかえるのをかろうじて持ちこたえていた。あぶら汗をかいて震えている。で、彼の代わりなのだが女性の医師か研修医かわからない方が手を挙げて「私にやらせて下さい。」とすかさず立候補!う〜ん、かっこいい!みとれてしまった。

 ひっくり返った助手は私の隣のベッドで休む。しかし私の痛みは助手がひっくり返ろうが、かっこいい女性が代役になろうが変わらずに続く。そして私の痛がりにはお構いなく手術は続くのだ。ひ〜ひ〜言ってる私の上で声が飛び交う。「ね〜、そっちどのくらいほしい?」「そうね。3×3。2個くらいかな。」お〜い何なんだ〜、その会話は。。。どうやら、私のモモから3×3の立方体が2個研究室の方にまわったようで・・・ (^^ ;いや、もっと多かったかもしれない、まあいいけど。

 私の叫び声は廊下で待ってる患者さん達にもよ〜く聴こえたそうだ。「キミも大変な患者持っちゃったねぇ〜って他の先生にいわれちゃったよ〜。」と後で主治医に言われてしまった(^^ゞ。私の後に筋生検をした患者さんはびくともしなかったそうだ。私は気が小さいからホント痛がりなのである。だって、痛いの嫌いなんだも〜ん!

 後で聞いたことだが、まったく痛くないように採取してくれる病院もあるそうだ。なんでソコに行かなかったかな〜ワタシ。病院選びの候補にあったトコだったんだけど、近いところを選んでしまったのである。残念。

 

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気管支鏡の話

 

 気管支鏡というのは私が間質性肺炎だったので行われたものです。内視鏡は食道から胃に行きますが気管支鏡は気管から肺に行って肺の組織を一部取ります。

 内臓というのは神経が通ってないから全く痛みはないので大丈夫とのことだった。しかし。そんなのはこの痛がり女には通用しないのだ。やっぱり、痛かった。組織を取るときにツーンと引っ張られるような感じがあって何度となく強い痛みを感じた。筋生検でもそうだったが気が小さいのが一番の原因なのだろう。とにかく恐怖感が強い。恐くて恐くて仕方がない。ず〜っと目を閉じたまま全身に力が入ってしまって、ひたすら早く終るのを祈っていた。体中汗だく。ウソツキ!全身麻酔だったらよかったのに〜と主治医を恨んだ。まあ全身麻酔もそれはそれで恐いけど・・・。

 気管支鏡が口からはずされやっと目を開けた。その時私は感動した。担当の方も汗びっしょりだったのだ。
ああああああああああああぁ〜。私のためにこんなに一生懸命がんばってくれている人がいる。うぅ〜、ありがとう。私は検査の間中、心の中で毒づいていたことを素直に反省した。

 しかし、あれから何年もたってちょっと思った。ひょっとしてあの汗だくで検査してくれた方は、もしかしたら初めてだったりしてって (^^ ;で、主治医にも言ってみた。そしたら、マジメに否定されてしまった。肺の組織を取るのはどんなベテランの方でも非常に神経を使う検査なのだから当然のことであると。うんうんそうか、そうなんだな〜と一応思ってる (^^ゞ。

 

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何だか解らなかった2回目の入院

 

 初めての入院から2年後の1996年(平成8年)4月、今回は間質性肺炎の治療のために入院した。

 1994年の8月に退院してからは特にトラブルもなく、プレドニンも順調に減っていき一日7.5mgになっていた。毎日のだるさは続いていたものの、特別体調を崩したということもなかったのだが、暮れにひいた風邪が長引いて咳が続いているのは気になっていた。

 3月にCTを撮ったら「間質性肺炎が再燃している」と主治医が驚き、即入院が決まった。プレドニン60mgから始めるということだったので、入院期間は4カ月くらいと覚悟しての入院だった。

 前回の入院で入院中はかなり退屈することが解っていたので、まず退屈しのぎに何をしようかと考え、こりゃもうパソコンを持ち込むっきゃないと…! で、持ち込んじゃいました、デスクトップのでかいヤツ (^^ ;パソコンを買って半年が過ぎていたわりにはまだまだ解らないことだらけで、パソパソするのが楽しくって♪雑誌も買いまくっていたのでそれらもぜ〜んぶ持ち込んで・・・。

 前回の入院でお布団が重いのも気になっていたので、軽い羽根布団も持ち込んだのだが必要なかった。羽根布団に変わっていたのだ(^^ ;あと背もたれが楽チンなようにやけにでかいクッション、ラジカセ、ビデオ、テレビ。カセットテープやビデオテープを編集しようと思ってカセットのありったけを一度にぜ〜んぶ持ち込んでしまった。まあその荷物の量ったらすごいものであった。一度入院してしまうとプレドニンの量が量なんでかなり薬が減るまでは二度と家に戻れないと思って気合いがはいってたのである ^_^;入院してから足りない物を徐々に持ち込めばいいと普通は考えるが、あとで夫にいろいろ頼むのがめんどくさいな〜っと思ったもので・・・。

 病院の入り口で台車を借りて病室まで運んだのだが、看護師さん達は目が点になっていた(^^ ;病室は8人部屋だったので思ったより一人分のスペースが狭く、荷物が収まらなくて途方にくれるワタシ。(前回は6人部屋だったのだ。)同室の方々は皆さん当然あきれていた。

 しかしである、こんなに気合いを入れて入院したのにナント治療をしないことになったのだ。。いや、もうなんだかな〜、カッコワルイってこのことだ。ヘラヘラしながら荷物をまとめ、スゴスゴ帰ってきた。

 入院後にレントゲンを撮り、呼吸機能検査をし、血ガスを調べた結果、とくに悪くなっていなかったということが分かった。で、何も治療をせずに様子をみることになったのである。何なんだ〜よ〜^_^;まあ、主治医の勘違いで良かったけど(今の主治医ではありません。)。4月18日入院、4月30日退院の13日の内、外泊7日(^^ゞ。

 せっかく入院したんだからついでに「肺生検」しとこうよって話になり、死んじゃっても文句言いませんみたいな承諾書も書いのだが、「肺生検」はやりたくなかったので、「祖母が危篤状態なのですぐに退院させて」と無理やり退院(^^)v結局いまだに「肺生検」はしていない。

 「肺生検」というのは全身麻酔をして身体の3〜4箇所にメスを入れ肺の組織を取るものだ。気管支鏡と違って胸に穴を開けるわけだから、傷口も残るし傷跡もず〜っとウズウズするよな、たぶん。私の場合は膠原病からくる間質性肺炎なわけだから、検査しなくてもいいのではないかと勝手に判断している。いいのか?いいのだ。

 その時ごねていた私を説得にかかった病棟担当医や主治医の後ろで、「いいんですよ。無理やりしなくても。」と易しく言ってくださったセンセ。それが今の私の主治医だ。やっほ〜♪

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肺炎治療のお試し入院(3回目の入院)

 

 1997年2月24日入院。

 筋炎は順調でプレドニンも1日7.5mg(今までで最小量)の時だった。1月に撮ったCTの結果、間質性肺炎が少し進行しているようだとわかり(2回目の入院時と同じ主治医)、LDHもCKも徐々に上がってきていたので「新しい治療法」があるからと、入院して試してみることになった。2週間続けて点滴と飲み薬を飲むだけの治療なので入院しなくても通院でできそうなものだが保険の関係でいろいろあるらしい。めんどくさいわね。でも、保険適用してもらえてありがたいけど。

 プレドニンも一気に25mgに増え治療開始。ところが間抜けな私は何故か12.5mgしか飲んでいなかったのだ。あとで気付いて主治医に報告。でも、仕方ないからそのまま12.5mgでいくことになった。いいのか?そんなんで…^_^;

 入院中にLDHもCKもどんどん下がり、「効果がありそうだ」ということで、退院後は保険がきくギリギリの回数の点滴を通院して受けることになった。1ヶ月に16本まで?あれ14本だったかしら(^^ ;それ以上は実費になるそうでボンビーな私は保険の範囲内でしかうけられない。

 退院時に受けた呼吸機能検査ではDLCOが60%代だったが(1997年3月14日)、1997年12月22日に受けた呼吸機能検査ではDLCOが86%まで回復していたの。主治医は「こんな三割り増しの成績があがるなんて学会報告もんだ」と大喜びしていた。

 1997年3月14日退院。退院の次の日が次男の幼稚園の卒園式だった。クラスの謝恩会の係りだったので 、謝恩会当日は病み上がりだったのに無理しちゃって、その後2〜3日再起不能状態であった。

 その後、今の主治医に変わった(1998年3月6日)時点で徐々に回数を減らし、効果はあったようだがもっと他の治療法を試したかったワタシと今の主治医の考えが一致し、ついに中止。いくらかかりつけの大学病院まで車で20分くらいでも、週3〜4日通うのはとても大変。期間限定だったらいいけど、ず〜っと通い続けるなんて、ねぇ^_^;

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